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TAAAの活動日誌 2002-2009年

2007年7月9日

2007年度第1回のTAAA報告会を開催


2007年7月7日、たなばたの日に今年度第一回目のTAAA報告会を開催しました。講師はダーバン在住10年を数える平林薫TAAA南ア現地代表。織姫と彦星は、かささぎが列を作って天の川にかけてくれる橋を渡って逢うそうですが、南アと日本をつなぐ小さいけど懸命な一羽のかささぎとして、TAAAは頑張っています。南アからこの日のために帰国した平林さんは、困難な中にも常に希望を燃やしていて、お話していると元気が湧いてくる素敵な人です。講演の内容を送ってくれましたので、かなり長文になりますが、全文をご紹介します。


<南アの現状>


南アでは、ワールドカップの準備や鉱物資源の価格の高騰などから、景気は上昇している。ところが、国の総人口の43%が年収R3000以下(5万5千円くらい)という統計が出た。南アは大変物価が高く、レストランで食事をすれば1人R100はかかるし、町中のごく普通のアパートの家賃が月R3000程度であることから、年収R3000以下ということがどんな状況であるか想像できると思う。また、国の総人口4600万人のうち、約4分の一の1200万人は年金や子供への援助金などの社会保障に頼って生活している。南アはインド、ブラジルなどと同様に世界で最も貧富の差の激しい国の一つである。


先進国並みに豊かで活発な経済活動に黒人が組み込まれることを目的とした、BEE(Black Economic Empowerment)というプログラムがあるが、これによって元ANCリーダーなどの有名人たちや海外で勉強して帰国した人々など一握りのエリートが巨額の報酬を得ることができただけで、今のところ、大きな規模での雇用創出や、一般の人々の経済活動への参加を促すには至っていない。結局、経済システムはアパルトヘイト当時とほとんど変わっていないといえる。多くの労働者は薄給で重労働をさせられるが、文句を言えば“辞めてもらって結構、職につきたい人はいくらでもいるのだから”と言われる。失業したくなければその職にしがみつくしかない。近年、ジンバブエやモザンビークなど近隣諸国からの移民が流入し、悪徳経営者はもっと安い賃金で彼らを使っているため、“外国人に職を盗られる”と、外国人への偏見や憎しみが生まれていることも懸念される。


今年に入って様々な局面でデモやストライキが起きるようになった。まず発端は州の境界線にある町での問題。クツォンという町がハウテン州から北西州に移されることになったのだが、住民は十分な知らせを受けておらず、豊かな州から、プラチナ鉱山があり豊かではあるがマネージメントがうまくできていない州に移されることに反発し、抗議行動を始めた。町の役所は焼かれ、町長や幹部は脅され、学校や公共のオフィスが閉鎖となった。問題が大きくなった3月以来、この地域の学校は閉鎖されたままである。


また、デモやストが少しずつ暴力的になってきているような気もする。そして、それらの抗議行動に対する警察の対応がアパルトヘイト当時を思い起こさせるようなものなのだ。つい最近も、ダーバン中心部の路上の行商人たちが警察の手入れに遭い、使用料を払っていないとか、許可されている場所ではないとかの理由で商品を強制的に没収された。これに反発して抗議行動を行った人々に対し、警察は催涙ガスや放水砲を使い、25人が逮捕された。彼らが裁判所に出頭する日、裁判所前に人々が集まり再度抗議行動を行ったが、ここでも警察は催涙ガスで群集を鎮圧し、500人が逮捕された。多くは女性で、逮捕される際にバトンで強く叩かれた人もいる。人々は、“これはダーバン市がワールドカップに向けて我々を路上から追い出そうとしているのだ”と話す。これが本当かどうかは別としても、弱者を切り捨てる傾向が見られることは確かで、ますます政府と一般市民との間で対立が深まってきているように感じている。

6月1日から一ヶ月公務員のストライキが続き、社会に大きな影響を及ぼした。看護士のストにより病院のスタッフの数が減ったため、軍隊が出動し、看護に当たったり、重病患者は軍の病院に搬送されたりした。このストの直接的、間接的な影響で亡くなった患者も出ている。教員のストによる一ヶ月の学校閉鎖も後々まで後遺症を残すことになりそうだ。組合のメンバーである教員たちは“Too nice for too long”長い間我々は我慢しすぎた、というコメントを発表し、組合は政府に12%の昇給を要求した。


<学校の現状>


これまで特に地方の学校を訪問し、厳しい環境の中で仕事をする教員たちを見てきて、このままではいつか彼らの我慢の限界が来て、不満が爆発するのではないかと危機感を持っていた。民主的な国家として再スタートして13年経ち、政治的なシステムが変わり、国としての経済も発展している中で、取り残されてしまっている地域や人々はどうなるのか。私自身も、日々の生活の中で憤りを感じる場面が多くなってきている。


教員のストに関して、学校訪問で現場を見ている私は教員を応援したい気持ちである。しかし、学校を一ヶ月閉鎖するということは、より弱い立場の子供達を犠牲にしていることになる。ただでさえ設備もひどく、リソースも乏しい学校に通わざるを得ない子供たちは、今年一年分の課程を終わらせることができるかどうか、という危機的な状況だ。“僕たちは教室に戻りたい”とケープタウン近郊の黒人居住区の子供たちがデモを行ったが、その姿は、アパルトヘイト政権の下での教育に抗議をした“ソウェト蜂起”を思い起こさせた。偶然にも同じ6月に起こっている。


私たちが共に活動しているダーバンのNGO、ELETのマーヴィン・オグル代表とこの問題について意見を交わした。オグル氏は教員たちの行動には賛成できないという。彼はプロジェクトを通して、やる気も向上心もなく、生徒たちのことを真剣に考えているとは思えないような教員を多く見てきたという。そのような教員に限って“政府は何もしてくれない”とか“この学校は貧しくてリソースが乏しいから授業にならない”などと言い訳をする。しかし、学期初めに練習帳を提供しても学期末には1ページしか進められないような教員がいて、理由を尋ねれば“忙しかったから”と言う。そんな教員は今の給料だって高いくらいだ、と話していた。確かに、私も移動図書館プロジェクトでそのような学校や教員たちに出会うことがあるが、その多くは、校長が休みがちで、自分のことばかり考え、不満や文句ばかり言っていて、教師たちはやる気をなくしているように見えた。南アでも教員の仕事は自分の使命と思っている、という多くの声を聞く。そのような教員たちがモチベーションを失ってしまうような環境、待遇であるというのは間違っていると思う。オグル氏も、問題なのは給料の額だけではなく、もっと根本的な部分の改善なのだと言う。


何より深刻なのは政府の問題。国も州も、政府には予算もあり、スタッフもいる。しかし、トップが決定した立派な法案を理解し、実行に移す力のあるスタッフはどれほどいるか。部門内での連絡もとても悪く、誰かが休暇や離職してしまうと全く物事が進まなくなってしまうこともある。国も州も役所には人が多すぎて、効率的な仕事を行えていないということも問題。また、大臣、副大臣、長官、副長官、担当部長など幹部は、一般スタッフの10倍、20倍の給料をもらっている。このようなあまりに不公平な賃金体系を見直し、現在資格や年数だけで規定されているレベルを実際の能力や取り組みで査定できるようなシステムの導入や、仕事に熱心で効率を上げているスタッフには何らかの報酬や昇給のアップ率を変えるなどモチベーションを高める工夫をするべきではないだろうか。単純に昇給率だけを争点にしている政府も労働組合ももっと根本的な問題について話し合うべきだ、と話し合いはヒートアップした。


もちろんトップばかりが責められるわけではないが、リーダーである以上、下にいる人々のことを真剣に考えている姿勢は見せて欲しい。今回の公務員のストライキが続いている間も、担当する公務省の大臣以外はまったくこの問題に触れようともせず、まして“自分たちの給料を削ってでも教員の給料に充てようではないか”などという話は教育大臣を含め一切聞かれなかった。それどころか、大統領以下、大臣たちに30%程度の昇給を予定している。


<移動図書館と本の寄贈活動に関する報告>


3月19日に、TAAAが寄贈した移動図書館車が巡回しているKZN州イナンダ地区のマンドシ小を州教育省のクロニエ大臣が訪問された。事前に移動図書館スタッフから連絡を受けていたので、私も同席した。大臣はTAAAが移動図書館バスを寄贈していることはすでに知っていたが、このマンドシ小にTAAAが直接行っている本の寄贈、日本の小学校との絵の交換、そして学習院高等科からの寄贈による本棚の寄贈で図書室が開設されたことなどを見て大変驚いていた。日本の支援者の方々にくれぐれも感謝の気持ちを伝えて欲しいと依頼された。TAAAのGENEROUS(気前のよい)、QUIET(地味な)サポートに感謝しているという言葉には、まさに私たちの会を理解してもらえたような気がした。実はその前の週にアメリカのトークショー司会者、オプラ・ウィンフリーがKZN州と東ケープ州の境界にあるコクスタッドという町に立派な学校を建設し、開校式があった。校舎などの設備は州教育省の管轄下なので、本来このような事業は教育省が行うべきであるから、このように派手な支援を受けるということは、まるで州が何もしていないように採られる可能性もあるわけだ。新聞記事によると、式典でのクロニエ大臣のスピーチは、“州教育省は予算もあり、着実に学校建設を進めている。もちろん、このようなサポートは歓迎する”というようなものだった。南ア政府は、自国の立派なシステムを誇るばかりでなく、そのシステムが機能していない部分に関しては素直に認め、内外の支援を受けながらサービスを迅速に供給していくべきだ、と思う。


5月にはジョハネスバーグに出張した。まずメソジスト教会の教育支援NGO、MEIの移動図書館車プロジェクトを訪問した。3月末で司書のアリソンさんが辞任し、4月から新たにメーガンさんという元教師で牧師さんの奥さんが引き継ぎ、訪問したときはちょうど各校に新任のあいさつを兼ねて巡回しているところだった。前任からの引継ぎでも指摘されていた問題として、巡回校の中で貸し出し数にばらつきがある、つまり学校によって図書活動への取り組み体制がばらばらであるという点について話し合った。その日は3校回ったのだが、その一日だけでも、問題がはっきりと見えてきた。最初の学校は大変活発に活動が行われており、先生方も“待ってました”とばかりどんどんやってきて、1人何十冊も借りていった。ところが3校目では1時間以上待たされて、結局2,3人の教師が2,3冊ずつ借りていっただけであった。メーガンさんは、そのように教師が熱心でない学校は、生徒たちにはかわいそうだが巡回をストップし、バスの巡回を希望している、熱意のある他の学校にチェンジしていこうと思っていると話していた。


南アの黒人居住区の中では最大で、大都市ジョハネスバーグにあるソウェトでは、ショッピングセンターや住宅建設などの開発が進んでおり、海外からの様々な支援も集まってきている。しばらくぶりのソウェト訪問だったので、すでに学校の設備はかなり整ってきているのではないかと思っていた。しかし、私が訪問したSOMOHOというNGOのある地域は中心部から離れていることもあり、あまり変化は見られなかった。TAAAは昨年11月にSOMOHOが支援している7校に30箱の本を寄贈した。今回、代表のマンドラ・メントゥールさんがそのうちの4校に案内してくださったが、やはり学校によって図書活動に違いが見られた。


一校は図書室がなかったため、本の寄贈を機に教室を図書室に改装している。ただ、本の数も少なく整理の仕方もわからないため、教師たちはサポートが欲しいという話をしていた。生徒たちはこの簡易図書室に出たり入ったりして活発に読書をしているようで、TAAA寄贈の本を使って読書コンクールを計画している。もう一校はグレードRから4(日本の幼稚園から4年生まで)の学校で、ちょうど絵本がたくさん入った箱を受け取ったと喜んでいた。ここは図書室もあり、毎週金曜日の朝礼の際に、生徒の代表が前で本を読むという活動が行われているという。またもう一校では、河合塾さんから寄贈された高校一年生のリーダーの教科書が有効に利用されていた。同じものがまとまって送られたので、グレード7(日本の中1)のクラス全員に一冊ずついきわたり、本文や練習問題を活用していた。写真や情報も多いため、教師はとてもいいテキストだと話していた。


学校訪問の後、SOMOHOサッカークラブの活動を見に行った。活動はメントゥール氏の自宅兼オフィスの近くにある高校のグランドで行われている。この高校の設備はひどく、校舎の窓ガラスは割れ、敷地内はゴミだらけ、何の活動もなく3時には誰一人いなかった。このような解決のめどもつかない問題を抱えている状況の中で、グランドでボールを追って走る子供たちの姿は唯一の光である。西日の当たるグランドで子供たちが真剣に練習する姿を見て、メントゥール氏は“スポーツはいいね。傍からはお金にならないことをよく続けているな、と言われるけれど、子供たちのこの姿が見たいからなんだよ”と話してくれた。このような気持ちで活動を続けているSOMOHOとは、これからも協力し合っていきたい、と思った。


<JICA草の根技術支援プロジェクト>


JICA草の根技術支援金で先月から開始となった“学校菜園プロジェクト”の行われる場所は、ンドウェドウェというダーバンから北西に60キロほど入ったところに広がる地域で、周辺は小高い丘にサトウキビ畑が広がる、一見のどかで美しい地帯だ。都市部からそれほど離れていないが、水道、電気などの基本的なインフラもまだ整っておらず、これといった産業がないため、この地域だけ見ると失業率は50%を超えると言われている。TAAAは2003年からJICAの支援金で、現地NGOのELETと共に、この地域の15校でHIV/AIDSピア教育プロジェクトを行った。プロジェクト参加校では、生徒たちがAIDSという病気に関する知識はもちろん、AIDSへの偏見をなくすことや性に関する知識、学生としての生活態度などを学んだ。学校からは“妊娠する生徒がいなくなった”とか“地域に出てHIV感染者や何らかの影響を受けている人たちへのサポートが行われるようになった”などの報告があった。また、プロジェクトでは衛生や環境を含めた健康教育を行い、各学校では健康クラブを設立して活動を行った。そのため、参加校では校庭の清掃や花壇作りなどによって校内が大変きれいになった。このような活動を行ううち、今回の学校菜園プロジェクトの効果と必要性を認識し、学校側からも是非プロジェクトを行いたいという依頼を受けた。ちょうどELETはすでに他の地域での同様のプロジェクトを行い、成果をあげていた。それはダーバン周辺のイナンダ・ントゥズマ・クワマシュという3つの黒人居住区の頭文字をとってINKプロジェクトと呼ばれ、2年間で60校が参加した。移動図書館が訪問しているマンドシ小もプロジェクトに参加し、菜園から採れる見事な野菜は給食に利用されている。


南アの経済格差による貧困の問題は、犯罪や病気など、あらゆる問題との悪循環を起こしている。学校菜園プロジェクトでは、学校菜園における野菜の収穫によって学校給食の量と質が向上すること、教師や生徒たちが野菜作りの基礎知識と技術を学ぶこと、そしてコミュニティーの人々がたとえ小さな規模であっても農業に従事する機会を得て、自足していかれるようになることを目指している。ELETのオグル代表は、“延々と続く荒地のほんの一角に花を咲かせるようなものだが、時間をかけてその花が少しずつ広がっていくと信じて活動している”と話している。TAAAはELETと同じ信念、理想を持って、今後も協力して活動を続けていきたいと思っている。次回の報告会では、学校菜園プロジェクトの進捗状況についてお話したいと思う。


<まとめ>


南アが民主的な国家として大きな変革を成し遂げ、立派な憲法をもち、アフリカ大陸のリーダーとなっていることは紛れもない事実だ。しかし、民主的な国家であるならば、子供たちはある程度平等な機会を与えられ、その中で一人ひとりの個性で選択をすることができるはず。ところが南アでは能力があっても、お金がなければ当然受けられるべきレベルの教育が受けられない状況が続いている。このような状況を改善しなければ、結果として知識や技術を持った人材が十分に育たないということになり、大げさに言えば国の存続に関わる問題ではないかと危機感を持っている。今、自分自身を振り返ると、小学校から短大まで当たり前のように進んだ。けれども今、この“当たり前のこと”がどんなに貴重で、日本のような教育システムを持つことがどれほど大変なことなのかを改めて感じている。


最後にダーバンの牧師、ゲーリー・パーチェス氏の言葉を紹介したい。彼はかつて薬物とアルコール中毒のためホームレスとなり、ダーバン・アークというセンターで生活をしていた。ここで改心し、支援者から土地の寄贈を受け、広大な敷地にアラウナ・アークという自給自足を目指したセンターを設立した。センター内では菜園活動、木工などの技術指導も行なわれ、問題を抱えている人々の自立を促している。そんな彼が新聞のインタビューの中で、3つの大変重要な考えを述べている。まず1つは、“活動のマネージメントを効果的に行うには少ない人数で十分だ”これは是非南ア政府に聞かせたい言葉。2つめは、“助けを受ける人々は、自分たちでも立ち上がろうとする努力をしなければならない”。これは、“政府は何もしてくれない”と文句ばかり言い、何でもくれくれ、といった態度の教師たちに聞かせたい言葉。そしてこのセンターのモットーでもある、“いい人たちが何もしない社会に悪がはびこるものだ”。つまり、無関心への警鐘。これは南ア国内の裕福な人々はもちろん、日本や先進国の多くの人々に聞いてもらいたい言葉。私自身も常に自分には何ができるかを問い続け、行動していきたいと思っている。


講演原稿・平林/ 更新・武山

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