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南アニュース・IZINDABA IZINDABA 第12号 2006年6月4日

ムルンギシ君の死

5月31日に移動図書館車がイナンダのマンドシ小学校を訪問するということで、私もバスに乗せてもらい訪問してきました。 今回はTAAAメンバーの安部さんと南浦和小の皆さんが寄付してくださった"算数セット"の利用状況を視察することが目的でした。 朝、マンドシ小に到着すると、ズールー校長の姿がありません。バスの訪問日に他にアポを入れるはずないし、私も事前に何度も連絡を入れたのに、 と思っていたところ、"前日、卒業生が亡くなったので弔問に出かけているのですが、すぐ戻ります"と言われました。校長が戻られて話を伺ったところ、 "とにかく状況を見て欲しいので一緒に来てくれる?これから役所にも連絡をしなければならないから、写真を取っておけば何かの役に立つかもしれないし" とおっしゃるので、同行することになりました。


亡くなったムルンギシ・ンザマ君は21歳。マンドシ小時代はまじめで礼儀正しく、先生の言うことをよく聞く、アートのセンス抜群の生徒だったそうです。 卒業後、高校には進んだものの、学費が払えないため退学処分になってしまいました。仕事を探しているときに出会ったのが麻薬の売人で、 結局警察に捕まってしまい刑務所へ。そこで結核をうつされてしまいました。病状がひどくなってきたため出所させられたのだそうです。 しかし、治療薬を買うこともできず、栄養のある食べ物も摂れず、とても衛生的とはいえない環境の中では、病気はたちまち悪化してしまいます。 ここのところダーバン周辺も寒い日が続いたため、病状が急激に悪化し、5月30日大量の吐血をして亡くなりました。


お父さんはもうずいぶん前に亡くなっていて、お母さんは住み込みでメイドとして働いているので、週末しか家に帰ってきません。 彼は長男なので、弟と妹の世話をしながら、自分も働いて何とか家計を助けようとしていたそうです。お母さんの給料は月300ランド(6000円)。 はっきり言って、ふつう親子4人なら4,5日分で、外食したら一回で終わってしまう額です。お母さんはID(身分証明)をもっていないため、 子供の養育支援金をもらうことができません。それなら、何故誰かに相談して役所に届けに行くとか、子供の高校の月謝が払えなかったら、 メイドをしている家の主人にでもサポートを頼めなかったのでしょうか。


土壁の家の中で、地べたに横たわる息子の遺骸の前で呆然とする母の姿。きゃしゃで弱々しく、決して自分からは話をすることのないような女性。 良くも悪くも昔からの風習に従って生きている女性。そんな彼女が、いったいどうやって不親切な役所のスタッフに向かって怒鳴り散らすことができる というのでしょうか。住み込みで働かせるだけ働かせて、月300ランドしか払わないような家の主人に、どうやって月謝のサポートなど頼めると いうのでしょうか。彼女は校長先生に、息子が亡くなった日に自分の身に起きたことを淡々と話し始めました。その日、家の中で作業をしていたとき、 階段か何か段差のところで足を滑らし、ひどく転倒したのだそうです。自分ではひどい怪我をしてしまったと思ったのに何ともなく、 ほっとしていた矢先に息子の訃報が入ったのだそうです。きっと息子は苦しみの中でお母さんのことを呼んでいたのでしょう。


house
ムルンギシ君の家


あの泥壁の吹きさらしの家の中で、ぼろぼろの毛布にくるまりながら咳き込む若者の姿が目に浮かんできます。 私が一家を訪問したとき、唯一の食器棚の上には青いバナナしかありませんでした。毛布にくるまれたムルンギシ君の遺体は、 21歳の青年にしてはあまりにも細く、小さいものでした。兄のそんな姿をずっと見てきた弟のンゾクトゥラ君は14歳。マンドシ小のグレード8で、 担任の先生は、"クラスで1,2番を争う賢い生徒"とおっしゃっていました。彼もお兄さんと同じくアートのセンスが抜群で、 昨年TAAAへのカードも描いてくれました。妹のデリシーレちゃんはグレード3の9歳。担任の先生いわく、"ブリリアント(聡明な子)"。 おとなしくて、はにかんだような笑顔がかわいい子です。こんな子供達を二度とお兄さんのような目に遭わせてはいけないと思います。


shelf
食器棚


校長先生は早速、州の福祉省と内務省に連絡を取り、必要な手続きなどについて話を始めました。社会福祉省は、 当面必要な食料品とショッピングバウチャーをすぐに届けると約束してくれました。校長先生も先生方も、 一軒一軒の家庭の状況については把握できておらず、このようなことになって初めてこの家族の状況を知ったといいます。 これでやっとこの先、家族は何らかのサポートが得られることでしょう。私たちもできる限り物資などの支援をしていきたいと思っています。


暖かく、何不自由のない自分のフラットに戻った途端、涙があふれて止まりませんでした。もし彼がそのまま高校に通っていたら、 何か別の"まっとうな"仕事に就くことができたら、このようなことにはならなかったでしょう。彼の境遇につけこんで、 悪の道に引きずり込んだ奴らも憎いですが、何より、このような状況を作り出している南アの社会に問題があります。 このままでは、国全体に彼のようなケースがどんどん増えてくるでしょう。彼らは南アの明日を担うべき若者たちだというのに。 ムルンギシ君は、自分を犠牲にして何かを伝えたかったに違いありません。

翌日、お葬式もないまま、遺体は山に葬られました。ムルンギシ君のご冥福をお祈りします。

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