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IZINDABA  第4号 2003年5月20日

ウォルター・シスル氏葬儀に3万5千人。HAMBA KAHLE,TATA SISULU!

5月17日、ソウェトのオーランドスタジアムにおいて、ウォルター・シスル氏の葬儀が行なわれ、アフリカ各国首脳を含む各方面からのVIP、また一般参列者3万5千人がTATA SISULU(シスルお父さん)にお別れをしました。葬儀は国葬ではありませんが、オフィシャル(公的)に行なわれ、棺は南アフリカ国防省のトップメンバーにより運ばれました。私は朝7時に友人とタウンで待ち合わせてソウェトへ向かったのですが、スタジアム周辺は大変警備が厳しく、車を止める場所を探すのに一苦労でした。結局スタジアムから2キロほど離れた"ウォルター・シスル・チルドレン・センター(身寄 りのない子供や問題のある子供たちのための施設)"に友人が頼んでくれて車をおいてから向かったため、到着したときには中央のスタンドはすでにいっぱいになっていました。仕方なく、写真を撮りながら、うろうろと場内を歩き回りました。


式の進行は主にハウテン州知事のシロワ氏によって行なわれたのですが、第一声が"AMANDLA!(力を!)"さすがに元COSATU(労働組合)議長、声に迫力があります。 VIPはチサノ・モザンビーク大統領、ムルジ・マラウイ大統領、カウンダ元ザンビア大統領、ローリングス元ガーナ大統領など。ジンバブエのムガベ大統領が紹介された際には、さすがに会場から歓声とも非難ともつかぬような声が湧き起こりました。 会場ではわからなかったのですが、夜のニュースでグレース夫人が素晴らしいドレスに超豪華なアクセサリーをつけているのを見てほとほとあきれ返りました(ジンバブエに関しては改めて書きます)。マンデラ氏はグラサ夫人に付き添われ、杖をつきながら弱々しい足取りでした。しかしひとたびマイクの前に立って話し始めると、観衆は彼の心の中に入り込んでしまったかのように、共に"ヒーローの中のヒーロー"を称え、その死を悼み、その志を継いでいこうと誓うのでした。ンベキ大統領の弔辞は、 コサの詩を引用し、美しい言葉で飾られていましたが、何となく事務的であまり印象に残りませんでした。また長すぎたため、周りの人たちも私語を始めたり、退屈そうにしたりと、あまり耳に入っていないように見受けられました。最後にデズモンド・ツツ大主教のお説教が始まると、そのパワフルな心のこもった話を、人々は食い入るようにして聞いていました。"普通の人間は、世界がマンデラを偉大なリーダーとして評価した時、'彼は私がいたからこそ誕生したのだ。評価されるべきは私なのだ'と自らをアピールするでしょう。履歴書に'マンデラをつくりあげた'とでも書くのではないでしょうか。しかしそんなことをしなくても、誰もがウォルターこそが解放闘争の真のリーダーであり、我々を 勝利に導いた人物であることを理解しているのです"そして"ここにウォルターの死を悼み、彼の人生を祝福するために多くのVIPと呼ばれる人々が参列されています。しかし、会場の皆さん一人一人がVSP(VERY SPECIAL PERSON)であることを忘れないで下さい。あなたたちこそがウォルターが最も愛した人々なのです"さすがツツ大主教、立派なテントの中にゆったりと腰をかけているVIPたちを横目に、炎天下でコンクリートの石段に座っている我々一般人たちの気持ちをよくわかってくださいました。


その後棺は軍のトラックに載せられ、スタジアムを後にするのですが、トラックを先導する国防大臣レコタ氏は、葬儀前日にメディアにスキャンダルをすっぱ抜かれたところでした。彼はワイン農場などのビジネスに関わっていることを公表していなかったことが明らかになり、野党から辞任せよ、の声まであがっています。あまりのタイミングの良さ(悪さ?)に、怒りよりも笑いがこみ上げてきます。トラックがゆっくりとスタジアムを回る間、観客席の高いところにいた私の周りのUMKHONTO WE SIZWE(人民の槍-ANCの軍隊)のベテラン達が、闘争時の歌をうたいながら踊りだし、 共産党メンバーの男性が指揮をとって、"ハイ、ハイハイ!"とトイトイが始まったのです。私も思わず参加してしまいました。目の前を棺が通り過ぎるとき、"HAMBA KAHLE"の大斉唱となり、皆それぞれの思いをこめてお別れをしました。夫人のアルバティーナは、涙も涸れてしまったかのように終始表情を変えず、その弱々しい足取りを両側から支えていたのは2人の老婦人、故オリバー・タンボ夫人とンベキ大統領の父の故ゴバン・ンベキ夫人でした。同じ一つの大きな目的に向かい夫と共に歩んだ道のりのように、3人が一歩一歩ゆっくりと大地を踏みしめながら歩く姿が大変印象的でした。棺の後を追って、VIPたちは墓地へと高級車の隊列を組んで向かったのですが、場所が狭いので、あらかじめ一般人は行かれませんと警告されていました。 墓地はソウェトのすぐ外側の公共墓地で、カラードの人々が多く埋葬されています。 シスル氏の家族は、"TATAは人々と一緒に眠りたいだろうから、この墓地を選びました"と言っていました。夜のニュースで埋葬の様子を放映していましたが、マンデラ氏も目に涙をいっぱいためていました。アルバティーナ夫人の別れの言葉を孫の女の子が読み上げました。"ウォルター、あなたなしで私はどうすればいいの?あなたがいたからこそ私は生きてこられたのに。前に私たちが引き裂かれたとき、私はあなたが必ず帰ってくると信じていました。そしてあなたは帰ってきてくれました。でも今、あなたは永遠に行ってしまった。私の心はぽっかり穴があいたようで、その痛みはどれほどか。あなたがいなくて本当に寂しいです、愛する夫よ"


LALA NGOXOLO XHAMELA(安らかにお眠りください)

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